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第2話 ドンドルマ 

 村を出てから八日、僕はようやく街に辿り着いた。
 それまでの道程は退屈以外の何ものでもなかった。万年雪を頂く通称『氷結山』のとんがった山並みを右手に眺めながら、僕は平原を、深い森の中を、湖の畔を、ひたすら歩き続けた。
 そして僕は立っている。僕の始まりの街、『ドンドルマ』。
 前に来たのはもう何年も前、僕がまだ何も出来ない子供だった時だ。でも今は違う。僕はハンターになる為にここに立っているんだ。身の丈を何倍も上回る狂暴な飛竜をこの手で狩るために。
 ドンドルマの街の歴史は古く、竜人たちによって大きな山を切り崩して建てられていて、その周囲は険しい山肌を見せる天然の要害になっていた。体の大きなモンスターが近付こうものなら、その山肌に体を擦りつけながら、街を迂回して延びている人の手で掘られた深い渓谷に誘導されるようになっている。その先には迎撃用の砦が待ち構えているけど、僕は遠くから眺めたことがあるだけだ。
 確かにそれらはモンスターに対しては強力無比に見えたけど、渓谷にしろ砦にしろ、僕にはいささか大袈裟過ぎるような気がしてならない。山のように大きな体を持つモンスターがいるなんて噂はあるけど、どれも眉唾ものだ。
 空を飛べる飛竜ならそんな砦も難なく越えられそうだけど、もちろんそれも抜かりはない。ドンドルマの城砦は飛竜を迎え撃つための特別な姿をしていた。街を模した赤煉瓦作りの高い壁が複雑に続いてモンスターの動きを封じるし、開けたところには迎撃用武器がモンスターを蜂の巣にしようと鎌首を擡(もた)げている。
 だからドンドルマはこれまでに何度も外敵からの襲撃を退けてきた。飛竜(ワイバーン)ではなく龍(ドラゴン)、俗に古龍と呼ばれている種の襲撃ではかなりの被害が出たそうだけど、この街そのものと、そして数多くのハンターたちがそれを撃退した。生憎、僕が生まれる前の話で、最近では古龍の姿を確認できたことがないらしいけど。
 城砦から街の中に入ると目につくのは建物の雑多さだ。ここは竜人、人間だけでなく、亜人と呼ばれる人に近しい者たちが一緒になって暮らしている。街の中心でここを治める大老殿の人たちはみんな竜人で、だから彼らの作った古めかしい、でも不可思議な意匠に彩られた立派な石造りの建物はそこかしこにあった。それでいて人間たちが建てた品性の破片(かけら)もない目を覆いたくなるような陳腐な煉瓦の街並みが続いていたり、建物と建物の間には瓦礫を寄せ集めた、既に秩序すら崩壊したような亜人たちの塒が犇(ひしめ)いている。
 街は人で溢れていて、まだ陽が高くなる前でも、様々な人を見かけることが出来た。工具箱を担いで走っていく革製の前掛けをした男の人、野菜が山を作っている大きな笊を頭に乗せて売り歩く女の人、固く焼いたパンを荷車にいっぱい積んで運んでいる商人、建物の際には粗末な屋台が幾つもあって、見た目に反して新鮮な野菜や果物、魚を売っていたり、生活に必要な品を丁寧に並べて通りがかる人を片っ端から呼び止めていたりする。
 そんな景色な左右に眺めながら、僕は街の中心に向かって歩いていった。八日間の旅で僕の服はかなりボロボロになってしまっていたけど、僕に好奇の目を向ける人はいなかった。ここでは旅人は当たり前だし、そうでなくてもこんな姿の人なんて普通にいたから。
 やってきたのは街門と呼ばれている街の中心部だった。昔はここまでしか街がなく、今、人が暮らしている大半は後になって拡張されていったところだ。現在では色々な通りが出会うところになっていて、さらに僕にとってもっと重要なことがあった。
 それは大老殿がある中央広場へ行く為の橋がかかっているからだ。そして中央広場はハンターたちの拠点となっていて、宿泊施設があり、依頼を斡旋しているギルドがある。
 だから僕は街門の中心に立って、胸がいっぱいになっていた。これからハンターとしての生活が始まる、その出発地点なのである。
 橋には欄干がなく、橋桁まで全てが木造だった。下は山からの清水が流れる深い堀になっていて、その上を一直線に貫いている。そしてその奥は如何にも竜人が作ったという円錐形やキノコ形の建物が山のように仰々しく構えていた。僕は父さんの付き添いでこの街門まで来たことがあったけど、橋を渡ることは許してもらえなかった。その先はハンターの領域だ、というのが理由だ。実際には商人をはじめ、一般の人たちも行き来しているが、父さんには特別な想いがあったに違いない。
 大きなボードが橋の袂に立っていて、その周辺に如何にもハンターらしい風体の人たちがいた。ボードには中央広場に入る時の規則やここ最近での出来事、モンスターに関する情報が張り出されているのだ。
 街門の左手には古龍観測所という施設があって、そこでは文字通り、気球を使って古龍の観測、調査をしていたり、高名になったハンターに特別な情報を教えたり、モンスターについての一通りの知識を教えてくれたりする。今は無用の場所だけど何時かは僕もあそこで重大な情報を得られる日を迎えてみたい。
「よう、兄ちゃん」
 と、突然背後から話しかけられ、僕は驚いて振り返った。そこには大きな荷物を背負い、ゴザを小脇に抱えた如何にも露天商といった姿をした細面の男の人が立っていた。細い目がギロリと僕を睨んで少し恐い。怒っているという感じはしないけど、何も窺(うかが)い知れない顔だと思った。
「兄ちゃん、若いな。見ない顔だがどこから来た? 退屈な村から飛び出して一攫千金を夢見るハンター志願ってところかい?」
 僕は苦笑した。まさにその通りだった。
「そうだよ。ハンターになる為にここに来たんだ。良く判るね」
「ハンターってのは最初はみんな同じようなもんさ。俺ぁ、ここでずっと露天をやってるからな。今日は店仕舞いだけど、だいたい毎日、一日中ここに座ってるから大抵のハンターの顔は覚えちまった。長く付き合ってくれる奴もいれば、いつのまにか顔を見なくなった奴もいる。ハンターは俺のお得意さんだ。兄ちゃんがそうなることを祈ってるよ」
「うん、一見さんにならないように努力する」
 僕が言うと、男の人の顔に笑みが浮かんだ。それは不器用だけど屈託がなく僕は少しだけ安心した。
「そうかいそうかい、兄ちゃんがしっかり稼いで俺んとこで買ってくれれば俺も儲かる。良いハンターってのは最後まで生きている奴のことだ。それを忘れなきゃ兄ちゃんでもやってけるよ。これからどうするんだい?」
「直ぐにギルドに行く。もっとゆっくりしてもいいけど、ドンドルマには前に何度か来たこともあるし、早くハンターとして動き出したいんだ」
 男の人はうんうん、と何度も頷いた。
「焦らなくてもいいと思うが、その気持ちは判る。そう言えば兄ちゃんはこの向こうに大きな広場があるのを知っているか?」
 男の人が指さしたほうを見て、僕は首を振った。ちょっと聞いたことがない。
「けっこう大きな広場でな。今は造成中だけどハンターのための色んな露店や施設が出来るって話だ。今後は街門じゃなく、そっちが入り口になるらしい。小さいけど農場や、宿とは別に自由に使える部屋も貸してくれるらしいよ」
「へえ、それはスゴイな」
「駆け出しにはまだ無理だろうけど、兄ちゃんも早くそういうところを使えるようになれればいいな。ほら、これをやる。そこのブタに挨拶代わりに食わしてやんな」
 男の人は僕に小さな包み紙を渡すと、街のほうに歩いて直ぐに人混みの中に消えてしまった。
 包み紙を開けると素朴な煎餅が二枚ほど入っていた。薄く軽く、表面が少し粉っぽくて何の匂いもしない、余り美味しそうな感じのしないものだ。
 ブタ? ブタって?
 首を傾げていると、足元にいきなり何かがぶつかって僕は尻餅をついてしまった。見ると何やら黒い塊が僕の体にまとわりついている。
「これは、プーギー?」
 よく見るとその真っ黒いものは、村でも沢山いたプーギーだった。でも黒なんて初めてだ。それに誰が巻いたのか紺のバンダナを首にしていた。片目には傷があり、人相、いやブタ相は悪い。
 でもこうやって人懐っこくじゃれついて来るのは他のプーギーと変わりがない。そして僕は気がついた。そうか、この煎餅はこいつの餌なんだ。
 僕が煎餅を投げてやると、黒プーギーはそれに飛びついてガツガツと食べてしまった。そしていきなり走り出したかと思うと直ぐに見えなくなってしまった。
「なんだよ、これが欲しかっただけなのか」
 溜め息をついて立ち上がった僕は、橋の袂まで歩いていって、真っ直ぐにそれを見据えた。
 ここを越えれば僕はハンターになる。そんな想いが僕の中にあった。父さんと来た時は渡ることの出来なかったこの橋を、今、僕はひとりで渡る。その先はハンターの領域だ。
 そして僕の領域だ。
 僕は脚を踏み出し、一歩、一歩と歩いていった。


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