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目次 →第2話



第1話 出立の朝

「大陸の何処かには、炎を水面(みなも)に浮かべた大きな泉があって、『太陽』という名の古い龍が住んでいるだ。それは知性と狂暴さを兼ね備えた龍の中の龍、その姿を見て帰ってこれた者はほんの僅かしかいない。でも、いや、だからこそ、かな? ハンターたちは、こぞって太陽を目指すんだ」
 夜になると父さんは色々な話を聞かせてくれたけど、最後は決まってこの話だった。僕がせがむことも少なくなかったけど、これは父さんが話してくれるハンターたちの物語の中でも、僕のとびきりのお気に入りだった。
 日によって話の細部が変わるのは気にならなかった。時には太陽と対の『月』という名の龍もいるとか、同じ太陽と月でも、銀と金の鱗を持つ狂暴な飛竜もいるとか、でも僕はその全てを信じていたし、そうさせるくらい、父さんが語る物語は魅力的だった。
 夕食が終わった後、僕は床に座り込んで、木切れを組み合わせて作った剣の、手入れの真似事をしながら、暖炉の横で椅子の背もたれに体を預けてパイプを燻らせる父さんの話に耳を傾ける。母さんが片付けを終え、「さあ、もうお休みの時間ですよ」と僕に声をかけるまでが、僕にとって空想の世界での冒険の時間だった。
 僕が寝室に行く時に少しだけ父さんを見ると、パイプを持ったままの手をだらりと下げて、疲れ切ったような顔に笑みを浮かべてこくりこくりとやっている。ゆらゆらと揺れる濃い夕日のような暖炉の炎に照らされた父さんの姿は、普段の男らしく力強い印象と違って何処か物憂げで、炎の明かりがなければ夜の闇に溶けて消えてしまいそうだった。
 そんな姿を見る度に僕はひどく胸を締め付けられ、何か大きなものを失ってしまいそうな不安と焦燥にかられ、でも、朝の普段通りの父さんをみて安堵の溜め息をもらす、そんなことが度々あった。
 何が僕にそう思わせたのか、それは今でもわからない。でもこれだけははっきりと言える。あの時の父さんは一日を無事に終えることが出来たこと、そして家族と過ごすことの喜びと安らぎを全身で感じていたはずだ。
 そして母さんは、いつもどんな時だって笑顔を絶やしたことがない。美人で優しく、料理が得意で、でも怒ると、時には父さんより恐かった。
 僕が木製じゃなく本物の剣を握らせてもらえるようになり、単なる賑やかしから雑用くらいは任されるようになると流石に父さんの夜話は聞かなくなったけど、それでも僕の中には色々な物語が刻み込まれていたし、家族で過ごす時間はちっとも変わらなかった。
 そんな父さんと母さんは、もういない。
 二人は今、僕の目の前で小さな墓石の下で眠っている。まだ太陽がようやく顔を見せ始めたばかりの肌寒い朝、僕は村の外れにある小さな墓地で、家族が揃っていた頃の記憶を辿っていた。
 いつかこんな日が来ることを僕は知っていたと思う。父さんは村を守るハンターで、常々自分に何かあれば、という話をしていた。何かというのはもちろん、命に関わることが、という意味だ。
 でも数日前までの僕は、そんなことなど起こるはずがないと半ば信じていた。将来の夢はあったけど、父さんと母さん、みんなで過ごす時間は永遠だと思っていた。
 しかし、現実に二人はもうこの世にはいないのである。
「イルクよ」
 突然、名前を呼ばれ、僕は驚いて振り返った。しかし、そこには誰もいなかった。いや、視線を下げると僕の腰ほどの背丈の、痩せて顔が皺だらけな男の人が立っていた。
 村の長老である。長老は亜人らしく、もうずいぶんと長く生きていて、耳がピンと尖った四角い顔で、皺の中に目鼻が埋もれて表情すらわからないほどだったけど、でも足腰はしゃんとしていた。麻の灰色のシャツとズボン、茶色の革のチョッキと靴はお揃いだ。長老の一張羅だけど、お世辞にもお洒落とは正反対だった。もっともこんな辺鄙なところにある小さな村ではみんな同じような格好で、僕も色こそ違うけど、やっぱり同じ姿だった。
「本当に行くのかえ?」
 長老に聞かれて僕は頷いた。もう心は固まっている。
「ぬしゃあ、まだ若い。もう直ぐ新しいハンターが来る。わざわざ街に行かずとも、狩りの術(すべ)を学ぶことは出来ように」
 でも僕は首を振った。長老の言うことはもっともだけど、それでは駄目な気がする。
 僕は墓石を覗き込んだ。磨き上げられたそれに映る僕の顔は、短くした黒髪も、何だか子供みたいな大きな黒目も、それに緩やかな顔の輪郭や鼻や口も、僕が見ても頼りないくらいだ。僕はまだ十六歳になったばかりで、ようやく一人前に村の仕事が出来るか、という程度だったけど、それは僕の不安感をやたらと煽った。
 それでも僕の決心は変わらない。
「ううん、僕は行くよ。街に行ってギルドに登録して、父さんみたいなハンターになるんだ。今まで父さんに色々と教えてもらっていたけど、これからはひとりでやる。ここは良い村だけど、ここにいたら甘えてしまうと思うんだ」
 僕の偽らざる心境。この村は小さくて良い人が多すぎる。
 長老は、うむ、と頷いて、僕の隣に立って墓石と向かい合った。その皺だらけの顔では、何を思っているのか想像できない。
「ぬしの父親は良いハンターだった。何度も脅威から村を護ってくれた。村に招いたのはもう随分と前になるか。母親は村の出身でよく尽くしておった。ぬしが生まれた時は、わしも盛大に祝ったもんだ」
 うん、と僕は頷く。父さんがこの村に来てからのこと、村を襲った幾つかの脅威、母さんとの馴れ初めから僕の誕生まで、僕は色々と聞いていた。それは父さんや母さんだけじゃなく、長老を含めた村の人たちからもだ。それだけ父さんは信頼されていたということだ。
「まさか復讐を考えておるのではあるまいな?」
 痛いところを突かれて、僕は少し動揺した。僕が街に行く理由のひとつには、まさしくそれがあったからだ。

 村外れに幾つか立っている物見やぐらから一報があったのは、まだ陽も高い頃だった。その時、僕たちは村にいた。父さんは自警団の訓練、僕は母さんの買い出しの付き添い、正確には荷物持ち、をやっていた。
 村を取り囲んでいる森の一角に、見たことのない怪鳥の姿がある、ということだった。父さんは自警団の何人かと共にそこに向かった。母さんも直ぐに家に帰った。
 僕の家は村から少し離れたところにある。そこは村に近付く脅威、つまり大型のモンスターを食い止める最後の砦を兼ねていた。二階建ての大きな家で、何かあった時、自警団の人たちが何人も寝泊まりが出来る。村を取り囲む、尖らせた先端を斜め上に向けた丸太の防柵が左右に伸びていて家はそれから一段手前にある。村に近付こうとするモンスターは地形や仕掛けられた罠を避けると、最後には必ずそこを通らなければならないようになっているのだ。母さんはハンターではないけど、火を焚いたり、怪我人が出た時のための準備をしたりと、砦を守る重要な役目を担っていた。
 僕は買った物を放り出すことも出来ず、ひとり村に残されてしまった。もっと腕が立ったなら父さんと一緒にモンスターと戦えるのに。それが悔しかった。
 でも、そのときの僕は妙な胸騒ぎがして、怪鳥撃退の知らせが届く前に家に向かった。ただ待っているなんてもどかしい。僕だって何かしらの役には立てるのである。
 でも、息を切らせて辿り着いた僕が見たのは、炎上する僕の家、周囲に横たわる村人たち、そして炎に煽られた怪鳥の姿だった。その光景に僕は愕然となった。
 怪鳥は何度か遠目に見たことがある『イャンクック』とは違っていて、体は見上げるほど大きく、濃い紫立った表面の鱗が艶かしく炎色に染まり、側面が割れた鋭い嘴(くちばし)や爪はまるで別の飛竜を思わせた。
 そいつの片方の耳は根元からスッパリと切れてそこになく、割れた嘴には見覚えのある長いものが突き刺さっていた。父さんの片手剣だ。
 怪鳥はもどかしそうに巨体を震わせ、翼を広げて炎で焼け焦げた大空に向かってひと鳴きした。
 その瞬間、僕の心臓は何か大きな槌でぶん殴られたようにビリビリ震え、鼓膜を突き抜けて頭の中を揺さぶられるような衝撃があった。僕は慌てて耳を塞いだけど、余りの衝撃にそこに突っ伏してしまった。
 竜の咆哮は魂を砕く、と聞いたことがある。その怪鳥の咆哮はまさしくそれだった。イャンクックがそんなものを持っているなど聞いたことがない。こいつは別ものだ。
 長く地べたに頬をつけて悶えていた僕の耳に、何かが跳ねる鈍い音がした。見ると父さんの片手剣が地面に転がっていた。
 覚束ない脚で立ち上がり、怪鳥を見る。同時にそいつも僕に顔を向けた。向かって右側がバックリと割れた嘴の上の、二つの鋭い目が僕を睨んでいた。僕は竦んでしまい、立っていられなくなってそこに膝をついた。
 死ぬ! と、僕は真剣に思った。
 しかし、怪鳥は翼を目一杯振り上げたかと思うと突然、地面から飛び立った。そして大空を隠すように立ち上っている濃い灰色の煙を掻き乱し、その中に消えていった。
 村人総出で消火と怪我人の手当てが行われた。でも昼過ぎになって炎を完全に消した時には、もう僕の家の大半が焼けてなくなっていた。
 それからさらに数刻して、父さんと母さんが見つかった。父さんはあの怪鳥との戦いの中で、そして母さんは炎に巻かれて、もう息はしていなかった。他にも自警団の男の人が三人亡くなり、他の人はみんな大怪我を負っていた。僕は大丈夫だったけど、僕と一緒にきた何人かが怪鳥の咆哮で前後不覚になり、落ち着くまで随分とかかった。
 それが一昨日のことだ。こんなことが起こったのは村の歴史の中でも初めてのことで、よくここで防いでくれたと、村人は父さんと母さんを讃えてくれたけど、それは僕にとってなんの慰めにもならなかった。
 昨日は死んだ人たち、もちろん僕の父さんと母さんも含めて、の葬儀が執り行われた。僕は長老と一緒に忙しく立ち回り、それが悲しみを少しでも忘れさせてくれた。
 そして夜になってようやく静かな時間が持てた時、僕はもう次にどうすればいいのかを決めていた。長老にだけはそのことを告げ、直ぐに持ち物をまとめてひと眠りし、朝一番に二人に挨拶をするためにこうしている。
「ぬしがハンターになることを止めやせん。ぬしの父親も喜ぶことだろう。だが村を離れる必要はあるまいに。己を律し、研鑽を積むのに場所は選ばん。それに巣を作らず浪々する飛竜と再び巡り逢うのは難しいぞ」
「それはわかっているけど」
 正直、村は静かすぎると思う。父さんは、ハンターは訓練以上に実戦で学ぶものだと言っていた。街のギルドなら色々なところから様々な依頼があるだろう。それに依頼をこなしていけば、いつかはあの飛竜と戦えるような気がする。
「やっぱり僕は街に行くよ」
 すると長老はじっと僕の顔を見て、そして小さく頷いた。
「よかろう。いつ出立する? 準備は済んだか?」
 僕は足元に置いてある大きめの麻袋に目をやった。ハンターナイフという名の、鈍く光る刃渡りが片腕くらいの長さの片手剣が傍らにあった。丸い小さな盾も一緒だ。
「うん、もう準備は終わってる。どうせ持ち物なんてそんなにないんだ、これから直ぐに出る。父さんの武器や防具はみんな置いていくよ。僕にはまだ扱えないし、次に来るハンターに渡してよ」
「預かろう。だがぬしの父親が使い込んだ良いものばかりだ。ぬしがあれを使いこなせるようになって戻ってきた時の為に大切に保管しておこう。それとこれは些少だが持って行くがいい」
 僕は長老から革のポーチを受け取った。中には結構な額のお金が入っている。
「ぬしのこれからの生活を考えてな。村の皆で出し合った。こうなる気がせんでもなかったが……、良い餞別になったわい」
「ありがとう、長老。みんなにも言っておいて」
 そうやって気にかけてくれているだけでも嬉しかった。だからこそ、街で強くなりたいと改めて思った。
 長老に別れを告げた僕は、そのまま真っ直ぐに村を出た。朝の早い刻で良かった。親しい誰かに会ったりしたら、決心が鈍りそうだった。だから唇をぎゅっと結んで、振り返ったりもしなかった。
 再びここに帰ってくるのはいつになるだろうか。持ち物は僅かな身の回りのものと、村でも一番安い片手剣。不安がないわけじゃない。むしろ不安と淋しさに押しつぶされそうだった。
 それでも行かなきゃならない。
 そうして僕は村を旅立った。


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