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第3話 剥ぎ取りナイフ

 大老殿のお膝元にある中央広場。
 初めて入ったそこを、僕は酷く曲解した姿で思い描いていたことを知った。
 きっとハンターたちが積み重ねてきた成果がそこかしこにある威厳と風格に満ちたところ、そして自分の命を危険に晒してモンスターと戦い、富と名声を貪欲に狙う猛者たちと、街を護り動かしている大老殿のという、本当なら交わることのない人たちが均衡を保ち、手を携えるところ。
 でも、そんな僕の考えをあっさりと打ち砕き、あったのは決して広くない円形の、何の特徴もない狭っ苦しい広場だった。
 地面には街のあちこちで見かけるような、太陽を象った褪せた褐色の敷石があり、その上で商人らしい二人の若者が話をしている。
 黄昏時だからなのか広場に見かける人の数はまばらで、藤色へと移り行く空から注がれる、やや赤味がかった陽光に照らされた広場は、他と違った雰囲気をそこに感じ取ることは出来ない。
 僕が歩いてきた川の縁には釣りをする為の出っ張りもあり、街の人がひとり、釣り糸を垂らしている。
 露店もあった。軒先に並んでいるのは狩りに必要な道具が多いけど、生活必需品も目について決して突飛な感じはしない。その横では太ったおばさんが、恐らく市場で仕入れてきたのだろう、新鮮な野菜から乾燥させた果物、魚の干物、燻製の肉なんかを売っている。誰かが通る度に彼女が張り上げる甲高い声は、広場の隅々まで轟いていた。
 広場の奥、正面には見上げるほど高い石造りの階段があって、それがやや霞がかった頂にある、何本もの円柱で支えられている深い皿をひっくり返したような屋根の建物、大老殿へと続いている。街の何処からでも眺めることが出来るそこへの階段には、しっかりと重武装をした見張りが立っている。
 左手には巨大な鉄の門が閉じられている。これは大きな街によくあって、街に災害や戦が迫った時はここを開けて街の人を逃がしたり、兵士を送り込んだりする。上から重りが下がっていて、ピンと張ったロープが斜めに登っている。それを切ると直ぐに門が開く仕組みになっていて、だから『跳ね門』と呼ばれている。
 その横には大きな煉瓦作りの建物があって、前の立て看板を読むと、そこがハンターの宿泊施設になっているようだ。さらに右隣には大衆酒場の入り口があり、階段を挟んで右には立派な円柱に支えられた地下闘技場が、それに隣接して工房が軒を連ねていた。
 でも見た目にそれらから賑やかな音も人の声も響いて来ない。これだけ静かなのは、僕の予想外だった。
 僕が最初に向かうと決めていた場所がある。ハンターズ・ギルドだ。
 そこでハンターとして登録しない限り、何一つ出来やしない。仕事の斡旋を受けるのも、報酬を受け取るのも、武器や防具を買うのも、必要な施設を使わせてもらうのも、全てはそこから始まるのである。
 そしてそれが大衆酒場の奥にあることを僕は知っていた。
 広場の人気の少なさと呼応するかのように、大衆酒場からも喧騒はまるで聞こえなかった。もう直ぐ黄昏時が近いとはいえ、酒を飲むにはまだ陽は高すぎるからだ。
 でも入り口に立っただけでその独特の雰囲気が感じられた。中を覗き込むと数は少ないけど、何人かのハンターらしき男の人がちびちびと酒を飲んでいた。
 中に入ると、そこに漂っていた濃厚なお酒や煙草の匂い、長年の間に染みついているんだろう、料理と人と金属や皮のくぐもった匂い、そんなものが一緒くたになって僕を襲った。
 誰も僕に見向きもしない。僕のような者は何処にだっている。辺境から富と名声を求めてやってきた若者。サイフはカラッポだけど、その分、夢や自信だけは持ちきれないほど背負っている。
 だから僕はちょっと安心した。僕が余りにも場違いで、嫌な視線を突きつけられた挙げ句に難癖をつけられたり、下手をすると叩き出されたりしないかと心配だったんだ。
 僕は気だるい雰囲気の温(ぬる)く粘っこい空気をかき分けながら、静かに酒を飲むハンターたちに何度か視線を送りながら、酒場の奥のカウンターへと向かった。カウンターは料理を注文するだけじゃない。そこはギルドの受け口になっている。
 カウンターの上にどっさと腰を下ろして煙管をふかしている竜人族のおじいさん、村の長老と見分けがつかないが、僕は直ぐに彼に話しかければいいと判った。彼の雰囲気は他の誰とも違い、威厳といえばいいのか、そんなものを漂わせている。大衆酒場には似つかわしくない人物だった。
 一呼吸して、彼に近付く。ギロリと睨まれたけど、その感じには覚えがあった。僕の村の長老は普段は優しいけど、流れ者が来た時には何時もそんな視線を送っていた。
 そうだ、僕はここではそれと同じなんだな、と何故か納得してしまった。
「あ、あの」
「ぬしはハンター志願か?」
 声も似ている。僕が親しくしていたのは村の長老だけだったので、彼ら種族の見分けなんて全く出来なかった。
「そ、そうです。今日、ドンドルマに着いたんです。それで」
 でも彼は、みなまで言うなと左手を掲げて僕を制した。
「そうか、わしはここのギルドの長じゃ。ハンターとして登録する者はみなここで許可を受ける。良いか?」
 僕は頷いてみせた。すると彼は話し始めた。それはドンドルマのことから始まり、ハンターという稼業について、それがどんな役割があるのか、どんな見返りがあるのか、それから狩りについて、この地に生息するモンスターについての一通りの知識にまで及んだ。
 僕は長らくそれをずっと聞いていた。知っていることがほとんどだったけど、改めて聞かされるそれに、自分がなろうとしているハンターというものにますます気持ちを新たにした。
 でも老人らしく同じ話が何度も繰り返され、しかも昔話が頻繁に交わるようになると、流石にウンザリして彼を止めざるを得なかった。
「なんじゃ? まだ全部話終わってはおらんぞ? まったく、若い者は話を聞かんで困る。まあ、一通りのことは話したし、ここに来る以上、それなりに知識はあるじゃろう。ではぬしをハンターと認め、ここで狩りをする許可をやろう。今からぬしはハンターじゃ。ぬしが活躍することは、すなわち街の繁栄と人々の平穏な暮らしにも関わってくるということじゃ。期待しておるぞ」
 うん、と僕は頷いた。想像よりもずっと簡単でいささか拍子抜けしてしまったけど、これで僕は晴れて狩りの許可をもらったわけだ。
「では、そこの娘の質問に答えるがいい」
 僕は指差された女の子のところにいった。給仕とも村人とも違う薄い緑色の服を着た女の子で、歳は僕と同じか少し上くらい。彼女はカウンター越しに僕に笑顔を投げかけ、名前や年齢、出身地なんかを尋ねてきた。質問の数は多くない。答える度に彼女は何かに書き込み、それが終わると一枚の竜皮紙を長に渡す。彼はそれに一筆加えてから、僕に手渡した。
「これは狩りの許可証じゃ。ぬしがハンターとして研鑽を積む度に新しいものに差し替える。無くさぬようにな。それから」
 さらに長は一振りの短剣を取り出した。
「これも持っていくがいい。名前はないが皆は“剥ぎ取りナイフ”と呼んでおる。ぬしの役目はモンスターを狩り、このナイフを使って一頭でも多くの獲物から素材を持ち帰ることじゃ」
 受け取ったナイフを鞘から抜いてみる。刀身が薄く狩りには向かないけど、刃は鋭くてモンスターを解体する時には役立つことだろう。
 僕は長に礼を言って大衆酒場を出た。手にはしっかりと許可証とナイフを握って。
 さて、次に何処に行こうかと考え、脚を向けたのは工房だった。
 預けなければならないほど荷物は多くない。それならば先にボロボロになった服を、安物でもいいから見栄えの良いもの、ちょっとでもハンターに見えるような姿に替えたい。
 酒場の雰囲気と長老の話、そしてハンターとなったことへの興奮で、もうかなり疲れてはいたけど、これからのことを考えたら急かされずにはいられなかった。
 工房への入り口は低い石造りの階段を上がったところにある。灰色の煉瓦がアーチ状になっていて、奥から熱い空気と鉄を叩く甲高い音が響いてくる。その音は気持ちを高揚させると同時に何か脚を進ませることを臆させた。
 でも、意を決して中に入ろうとした僕を、入り口近くにある小さなカウンターにいた女性が止めた。歳はずっと上だけど、その格好は長の横で僕に質問をした女の子に似ている。多分、ギルド指定の制服なんだろう。
「ねえ、君。もしかしてハンター志願?」
「そ、そうです。今、許可証をもらってきたばかりです」
 そう言うと、女性が手招きした。それに応じた僕に女性はにっこりと微笑んだ。
「新米ハンターさんね。工房は全部オーダーメイドで作っているから素材を持っていかないと何も作ってくれないの。でも駆け出しのハンターさんのために、既に出来上がったものをここで売っているのよ」
 女性がカウンターの奥に飾ってある兜や鎧を見せてくれる。僕は隣の小さな入り口をくぐってそこに入った。中は人がひとりようやく歩けるような狭いところで、壁は全面が棚になっていて、兜や篭手が綺麗に並べて置いてある。鎧は人の胸を模した置物に被せていた。武器もあって、それぞれ専用の棚に立てかけてあった。
 僕は女性の説明を聞き、所持金と相談しながら、上から下まで一通り揃えた。武器は村から持ってきたハンターナイフとお揃いの小さな盾があるので買わなかった。でもこれで僕の手持ちのお金は僅かとなってしまった。
「大丈夫、君が上手く狩りをすれば、直ぐに工房でもっとスゴイものを作ることが出来るようになるわ。頑張って!」
 女性の励ましは、でも僕には必要なかった。僕は何も心配していなかったし、むしろこれからの期待ですっかり舞い上がってしまっていたからだ。
 そう、ついに僕のハンターとしての生活が始まるんだ。


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